第3章 遺伝子と行動
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1. 行動に対する遺伝子の関与
行動が進化するのなら、行動を規定する遺伝子がなくてはならない
もちろん人間の行動を考えるためには、学習や教育や自分の自由意志をのことを十分考慮に入れねばならない 知能の発達していない動物も色々な行動をする
これらの行動のすべてが、学習や自由意志の結果でないとしたら、必ずや遺伝的基盤があるはず
カッコウのヒナはなぜカッコウになれるか?
巣の持ち主がいない間を見計らって一つの卵を持ち込み、持ち主自身の卵を一つ外に放り投げる
卵の外見も大きさも、巣の持ち主のものとそっくりにできているため、なかなか区別がつかない
カッコウの卵は義理のきょうだいよりも一足先にかえる
孵化したばかりのカッコウのヒナは、里親が巣にいない間を見計らって、まわりにある里親自身の卵を一つずつ背中にかついで巣の外に放り出す
やがて一人前のカッコウになると巣立ちし、雄ならば、カッコウに特有の鳴き声で鳴いて配偶者を探し、雌ならば、母親がやったのと同じように托卵し、このサイクルが繰り返されていく(Davies & Brooke, 1988, 1989a, b)
カッコウのヒナは、自分の親に会ったことがなく、他種の里親に育てられ、その種の鳴き声や行動を見て育つ
にもかかわらず、カッコウのヒナはちゃんとカッコウになる
これらの一連の複雑な行動は、カッコウの遺伝子の中に組み込まれているのに違いない 行動がどのひょうにして発現するかには、遺伝、環境、学習などがからみあっているが、カッコウの例は、環境や学習の要素がなくても、その種に特有の行動パターンがすべて遺伝によって発現する例と言える 注. ただし、鳴き声については、カッコウのひなは遠くから聞こえる実親の鳴き声をある程度学習しているらしいという研究が最近はじめて報告された
交尾時間の長さを決める遺伝子
遺伝の研究に欠かせない昆虫
"Time flies like an arrow. Fruitflies like an apple."
このハエは、雄が雌に対して片羽ずつあげて振って見せるという一連の求愛行動ののちに交尾をする
ショウジョウバエにも色々種類があるが、ある種の雄はおよそ20分ほど雌とつながって、その間にゆっくりと精子を送り込む
このハエの雄の遺伝子に突然変異が起こると、雄は通常の20分がたたないうちにさっさと離れてしまう 受精に十分な量の精子を送り込むことができないので「あっさりタイプ」の雄の適応度は非常に低くなっている(Benzer, 1973)
別のタイプの突然変異が起こると、通常の20分の交尾が終わってもなかなか離れようとしない
十分な精子を送り込めるので受精はできるが、1匹の雌にいつまでもしがみついていて、次の雌を探しに行かないので、通常の20分の交尾ののちに次々と新しい雌に受精していく「正常タイプ」に比べれば、適応度は低くなる この例は次の二つのことを示している
交尾を何分行うかというような行動を決めている遺伝子が確かに存在する
自然状態でも行動に影響を与えるような変異が生じていくる可能性がある ラットの迷路学習
何世代にもわたる実験を手早く行える利点を備えた哺乳類の代表といえば、ラットやマウス 哺乳類の中では子沢山で成長が早い動物
迷路を正しく通り抜ける学習能力に関する行動遺伝学の実験 迷路を用意し、たくさんのラットを走らせて、誤りの総数をを測る
誤りの少なかったグループと多かったグループとに分け、それぞれのグループ内同士で交配を行う
繰り返す
このように選別を行っては選択的に交配させていったところ、7世代もすると、誤りの少ないグループの子孫たちと多いグループの子孫たちはの間には大きな差が生じ、誤りの多いグループの中で一番少ない個体であっても、誤りの少ないグループの一番多い個体にもかなわないほどになってしまった(Tyron, 1940; Alcock, 1989)
選択交配を行った結果こうなったのだから、迷路を通り抜ける学習の能力に、非常に強い遺伝的基盤があることがわかる 最初に実験に使ったラット達は、この学習能力に関して遺伝的にまちまちな個体が色々いたので、迷路学習に影響を与えているのは、たった一つの遺伝子ではないだろう
迷路を早く/遅く学習することに関連している遺伝子を1個体の中に集めることができた
選択交配を繰り返すことによって、注目する形質を誇張した個体を作ることができれば、その形質には遺伝的基盤があることがわかる
このような人工的な選別実験は、先に紹介したショウジョウバエの交尾時間や、コオロギの雄の求愛コールの頻度などでも行われている(Cade, 1981) 遺伝子・タンパク質・行動
行動に遺伝的基盤がある、行動に影響を与える、または行動を支配している遺伝子があるということはどういう意味なのか DNAという化学物質で、三つの分子の記号が一組となって一つのアミノ酸を指定している そのアミノ酸が特定の配列を作ることによって、特定のタンパク質ができる 生き物とはさまざまなタンパク質のかたまりであり、遺伝子は、どんなタンパク質をいつ作るかを決めているに過ぎない
行動とは、筋肉の運動で生じるもの
行動が生じる基本は、自分自身の内的状態や外部からの刺激に応じて適切な反応を引き起こすことにあり、それらは、さまざまな酵素やホルモンや神経機構などによって制御されている 酵素やホルモンや神経機構は、タンパク質で作られており、これらのタンパク質をもとにした、多くの生化学的反応で動かされている
行動は、からだの生理学的・生化学的反応と神経系の制御によって生じ、これらの反応の生成や、神経系の伝達の方向づけと速度、刺激に対する感受性の高さなどは、関与するタンパク質の種類と量によって変化する
こうしてみると、遺伝子がある行動を支配していると言っても、直接的なものではないことがわかる
また、ある行動に関与しているタンパク質の種類が多ければ多いほど、それを作る遺伝子の数も多くなる
そうすると、一つの行動に単純に一つの遺伝子が対応していることは、あまりないと考えられる
この行動には遺伝的変異がある
フェロモンにはいくつかの化学成分が含まれているが、その中の特定の成分にとくによく反応するタイプの雌と、別の成分にとくによく反応するタイプの雌とがおり、それは遺伝的な違いによる(Sappington & Taylor, 1990)
結果的に出てくる行動を見ると、雌は配偶相手の選り好みをしているように見える
この選り好みには意識的な意思決定はいらず、雌の感覚器を構成するタンパク質が少し違う結果、特定の化学物質に対する感受性が高まり、そちらの方へ行きやすくなるという過程からのみ生じてくる
したがって、遺伝子が変わり、タンパク質が変わると、感覚器の受容性の感度が変わり、配偶アチエのタイプが変わることになる
レシピのたとえ
遺伝子が表現型を支配する仕組みは、よく青写真と建物の関係に例えられる 設計図の青写真が遺伝子であり、できあがった建物が個体
これは、少なくとも遺伝子と行動の関係を表すにはあまり良い例えではない
遺伝子と行動の関係は完全に一対一ではなく、直接的でもない
もっとよいたとえは、ベイトソンが考案し、ドーキンスによって広められた、料理のレシピのたとえ(Dawkins, 1978) レシピに書かれている一語一語は、できあがったケーキの特定の部分と対応していない
レシピ全体の総合された結果
レシピの中の一語が変われば、ケーキは確実に変化する
遺伝子が変われば、あるタンパク質の組成または作られる量が変わり、それが変われば、特定の神経伝達のルートが微妙に変わり、それが変われば最終産物である行動が変わる
遺伝子の変異によって、たんp買う質の変異が生じ、それによって特定の行動のパターンにも変異が生じ、そのような行動パターンの変異の間に適応度の差生じれば、行動も自然淘汰の対象となる 2. 行動の利益と損失
戦略の概念
行動生態学でいう戦略とは、ある特定の効果を達成するために取り得る行動のセット 考えられる色々なやり方(行動のオプション)
各戦略は異なる遺伝子のタイプに由来すると考える
戦略という概念は、遺伝子がプログラムであり、そのプログラムを実行したのが、エンド・プロダクトとしての行動
実際に動物がどのような戦略をとっているかは、その動物の自然の行動を観察してみなければわからない
ある種のコオロギでは、雄が雌を引きつけるために高頻度で鳴く個体と、それほどは鳴かない個体があることが知られている
代替戦略と意思決定ルール
近年の動物行動の研究が明らかにした最も重要な事実のひつは、動物たちも状況に応じて意思決定して行動を変えること
鳥の中には性成熟に達した後も親元にとどまって、次に生まれてくる弟や妹の育児を手伝う個体がいる種類がある
このようなヘルパーは遺伝的に決められているわけではない
個体が置かれている状況に応じて意思決定をする
独立するとすれば、自分の縄張りを持ち、繁殖相手を見つけ、雛の世話に十分な食料が必要
若い個体は周囲を散策飛行するうちに、その可能性がどれほどあるかを査定できる
これらの戦略の選択には何らかの遺伝的基盤がある
動物がその時その時に置かれている状態をもとに、適応度上昇にはどのように意思決定をしていくのかを分析する(Houston & MacNamara, 1999など)
ダイナミック・モデルでは、「それぞれの個体の状態に応じて行動を評価して選択するルール」が遺伝的に決められており、それが自然淘汰によって最適化されてきたと考えている
行動のコストとベネフィット
求愛コールの「よく鳴く戦略」は配偶相手の雌を獲得するという点では非常に有利だが、自分自身の生存率が下がるという損失が伴う
ある種のコオロギでは、コオロギのからだに卵を産み付ける寄生バエがやってくる(Cade, 1978)
別のカエルでは、よく鳴くオスほどコウモリに捕食される率が高くなる(Ryan et al, 1981) 戦略の適応度上の有利さを考える場合には、コストとベネフィットの療法を考慮に入れねばならない
このことは現代進化生物学の成し遂げた重要な成果の一つ
ダーウィンを始めとする初期の進化論者たちは、損失についてはしばしば見落としていた 「よく鳴く戦略」と「あまり鳴かない戦略」の有利さを考えるためには、生態学的条件を考慮する必要がある
寄生バエや捕食者がどれだけたくさんいるかによって、鳴くことのコストは変わる
最適化ーー必ずしも最適ではない、でも最適化
動物が持っている遺伝的変異によって、様々な点で異なる行動戦略が生じ、それぞれの行動戦略を取る個体の間に生存率や繁殖率の差が生じれば、適応度の高い戦略が、個体の間に広まっていくことになる
異なる行動戦略間に自然淘汰が働いた結果、動物がその条件のもとでの最適行動を身につけるようになっていく過程
芋虫の最適行動
一日のうちに植物の葉の大半を食い尽くす
熱帯降雨林の植物の多くは、葉の中に毒を分泌することによって芋虫を撃退している
毒を作って植物体に循環させるのはコストがかかるので、多くの植物は日中だけ毒を葉にまで行き渡らせる
熱帯降雨林に住んでいる芋虫の中には、早朝、植物がまだ毒を行き渡らせないうちに、自分の周囲に円を描くように葉脈を切り取って、毒が回ってくるのをあらかじめ遮断しておいてから、ゆっくりと真ん中に残った安全な葉を食べるものがいる
最適と言っても、考え得る限りの最高の最適というわけではない
変異そのものは、目的もなくランダムに作られている
これまでの歴史の中でランダムに生じてきた変異の範囲の中では、自然淘汰は最適を作り出してきたと言える
コオロギの求愛コール戦略の並存のように、場合によっては、最適戦略が一つに決まるときもあれば、決まらないときもある
3. ヒトの行動と遺伝子
動物行動と人間行動
行動それ自身が自然淘汰によって適応を遂げる
多くの動物について、最適化や代替戦略が野外で実際に調べられ、同時に、理論的な数理モデルの研究も進んだ
行動の違いが本当に動物の生死や繁殖に大きく影響することが次々と明らかになった
ダーウィンフィンチの行動と形態と環境要因を長期間にわたって詳しく観察したグラント夫妻はフィンチがさまざまな環境条件のもとで、どのような適応的問題に直面しながら生き延びているかを克明に示した(ワイナー著『フィンチの嘴』(Weiner, 1994)) このような研究を見ると、自然淘汰や適応の考え方は、太古の変化を説明するだけでなく、いまを生きている動物たちがなぜそうこうどうするのかを説明する最も基本的な原理であることがわかる
現時点で作用している厳しい淘汰の力を知ることによって、行動を含む動物の形質が、むしろ、なぜ簡単には大きく変化しないのかがわかる
人間の行動
遺伝的基盤をまったく持たない行動というものは存在しない
人間の個人差はどこまで遺伝によるのか
人間の行動の個人差に遺伝がどれほどの影響を与えているかを調べる研究
家系分析、双生児比較、実子と養子の比較などが調べられている
双生児研究についてみてみる(Plomin, 1990; 安藤, 1999)
二卵性双生児: 普通の兄弟と同じで、平均すると同じ祖先に由来する遺伝情報の50%だけを共有する たとえば体重やIQといった形質や行動について、一卵性と二卵性で双生児間の相関係数を比較すると遺伝の影響の強さが浮かび上がる 気質や能力ごとに遺伝的影響の強さにはかなり差異がある
遺伝率はさまざまな方法によって推定できるが、双生児の比較では一卵性と二卵性の相関係数の差を2倍することによって求められる 例えば、ある研究ではIQの双生児相関係数は一卵性で$ 0.86、二卵性で$ 0.60であると報告されているが、この場合の遺伝率は$ (0.86 - 0.60) \times 2 = 0.52
一卵性の類似度の$ 0.86のうち$ 0.52が、また二卵性の類似度$ 0.60のうち$ 0.26が遺伝によって説明される
共有環境の効果: 残りの$ 0.34は、同居するもの同士が同じ経験をすることによって類似する効果を表す 非共有環境の効果: 一卵性双生児であるのに一致しない部分($ 1-0.86 = 0.14)が、一人ひとりに固有の環境要因となる 別々に育てられた一卵性双生児のケースは遺伝と環境の関係を考える上でとりわけ重要
ペア間の一致度が高ければそれは環境要因ではなく遺伝要因によるものだと言える
T.ブジャードが率いるミネソタ大学の双生児研究プロジェクトでは、このような分離養育型の一卵性双生児について豊富な事例を長期間にわたって収集してきた オスカーとジャックの兄弟
中年になってから再会した二人は、お互いの消息を知らせあったことはないにもかかわらず、ふたりとも口ひげをはやし、金属縁の眼鏡を掛け、肩章のついたサファリジャケットを着ていて、スパイスのきいた料理と甘い酒を好み、輪ゴムを見ると手首にはめたくなり、朝ごはんのバター付きトーストをコーヒーに浸して食べるのが好きだったなどと報告されている(Bouchard, 1984)
IQの相関係数を見てみると、別々に育てられた一卵性双生児(0.74, 69組)は、一緒に育てられた二卵性双生児(0.53, 2052組)よりもむしろ高い数字を示し、遺伝が行動形質にも非常に強い影響を及ぼしていることがわかる
このように、人間行動遺伝学は、人間の行動傾向や能力、気質の個人差がどれほど遺伝の影響を受けるかを量的に示してくれる
遺伝率はその行動や形質に遺伝的変異がある場合、個人差がどこまで遺伝によって説明されるかを示す指標ではあるが、その行動や形質自体の発生や発現がどれだけ強く遺伝的に規定されているかに関する指標ではない 人間が5本の指を持って生まれてくることは完全に遺伝的にプログラムされているが、指の数には遺伝的な変異はない(4本指や6本指を発現させる遺伝子はないということ)
この場合、遺伝率が1ということにはならない
指の数の個人差は(もしあったとしても)環境要因によってのみ説明され、遺伝率はゼロということになる
事故で指を失うなど
逆の見方をすれば、遺伝率がゼロだからといって、その形質が遺伝とは無関係であるということではない
遺伝的背景がある行動についても同様に考えることができる
もしもその行動に非常に強い淘汰がかかっているならば、やがて遺伝的変異は消えてしまい、人間であれば誰もが同じように振る舞うことになる
2足歩行は人類に共通の性質なので、遺伝率を求めることには意味がない
遺伝率は、遺伝子と形質の対応の強さを示すものではない
ある行動を発現させる遺伝的機構がどのようなものなのかを明らかにするのは、むしろ分子生物学の仕事 本書でこれから述べる人間行動や人間心理のほとんどには、ヒトという生物のゲノムに書き込まれた遺伝的基盤があると筆者らは考えているが、その遺伝的変異の幅や分子メカニズムの実態についてはまだよくわかっていないというのが実情 近年、気質や知能に関する遺伝子の存在を示唆する報告が出るようになってきた。日本語の文献としては石浦(1997)などを参照
今日の動物行動研究は、行動生態学(淘汰の研究)と集団遺伝学(遺伝子型の解析)と分子生物学(形質を発現させる分子機構の研究)の相補的な関係によって発展してきた 人間行動の探求に置いても、淘汰圧や適応的意義を考える生態学的視点と、集団遺伝学的アプローチと分子生物学的アプローチを含む遺伝学視点の双方の双方が必要 行動生態学の基本的な教科書
Krebs & Davies (1993)
Trivers (1985)
Alcock (1998)
粕谷 (1990)
酒井・高田・近 (1999)